出会いと別れ(出会った方々)

旅行記もこれで終わりかという雰囲気。
今回の旅行はラッキーなことが続きました。ひとえに出会った方々のおかげでもあります。
出会いがあれば、別れは必ずやってきます。ミニ「ウルルン滞在記」のような目頭が熱くなる別れもありました。

我慢して読んでくれた皆様、ありがとうございます。
またの旅行記までお別れです。
さようなら。

クスコ、マチュピチュのガイド田中氏
日系1世、ペルーが好きで住み着いてしまった方。
クスコ在住ケーナ製作家の梅野氏とお電話で話すのを取り持ってくださいました。
今度ペンションを開かれたそうで、次回はそこへ長期滞在し、ケーナの工房へ弟子入りしたい。そこはクスコのはずれにあり、山梨のような丘陵地にありました。
クスコのガイド エディウス氏
会う早々「マコト シシド」(カルカスのチャランギスタ宍戸誠氏)を知っていますか?にはびっくり。カルカスとサビアアンディーナのフアンだそうで、私もです。クスコの楽器屋さんへ連れて行ってくれました。
クスコからプーノへの390キロの移動のバスで一緒に演奏しましたね。澄んだ「泣きながら」のサンポーニャと歌は耳に残ります。いつかまたお会いしましょう。
リマ ナスカ ガイド カルメン氏
日系2世 きれいな伝統的な日本語を話されました。
沖縄ご出身のご両親が話す日本語がそうなのでしょう。
カルメンさんがいなければグロベル氏のお父上とは会えませんでした。
「フジモリさんに会ったらペルーへ帰ってきてください」と言ってくださいと頼まれましたが、ちょっとフジモリ大統領には会えそうもありません。
左からT君、私、グロベル氏のお姉さま、甥子さん、父上
これから帰国する飛行機に乗るぎりぎり前に会えました。
時間があればゆっくりお話をしたかったです。
カルメン氏の通訳でグロベル氏の日本での活躍ぶりを少しはお伝えできました。
総合ガイド、ツアーコンダクター ナオキータ嬢(朝長直子氏)
ナオキータがいなければ、この旅行自体が存在しませんでした。出発前にお電話をいただいたとき、これはいい旅行になりそうだと思い、実際そうなりました。
マチュピチュT君捜索隊?では孤軍奮闘、見事成し遂げられましたことは、ずっと記憶にとどまります。
月2回は海外を飛び回っているとのこと、お体をご自愛ください。
最後にコンドルのペペ君
ナスカへのフライト基地 イカの空港で飼われていました。
君のことを日本中のフォルクローレ演奏家が一番多く演奏しています。
一日も早く大空を飛び回る日が来ることを祈っています。
(幼少の頃保護され、今は残念ながら飛べないそうです)
画像提供T君


この稿平成17年10月2日記す(最終稿)


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